ゆうです。
数日前から左足首が腫れ、押すと痛みが走っています。
今日、足首の腫れや痛みが骨や靭帯の異常だと推測して整形外科に足を運びました。
エコーやレントゲン、触診した結果、骨や靭帯に異常はなく、皮膚の感染症である蜂窩織炎の疑いがあるといわれたんです。
蜂窩織炎は、傷口から黄色ブドウ球菌やレンサ球菌などの細菌が入って皮下脂肪層で増殖する病気のことです。
基本的な治療法は抗生物質で、軽症であれば数日で腫れや痛みが治まるとのこと。
今日の夜から抗生物質と痛み止めの飲んだので、よくなれば蜂窩織炎であると断定され、よくならなければ別の病気の可能性が高いと医師からいわれています。
早くよくなってくれよ、自分。
そんな歩行困難な状態に初めてなっているため、いまの感情を残しておこうと思います。
健康、ありがたい
健康であることの素晴らしさを強く感じました。
当たり前に考えていた健康がくずれ、常に左足首が痛い。
ものすごいストレスでビックリです。
想像することもそんなになかったけれど、想像を遥かに超えるつらさがいまここにあります。
歩けないってめちゃつらいし、ストレス。
駅まで徒歩何分かかるんだよ。
手すりないのすごい怖い。
忙しなく迷惑そうに僕の横を通らないで、煽られている感じがするので。
寝ているときも痛いから熟睡できない。
買い物に行けない。
ロードバイクに乗れない。
遊びに行けない。
集中できない。
健康なときは当たり前すぎて考えていなかったことができなくなり、ようやくかけがえのないことだと感じました。
この気持ちもおそらく忘れてしまう僕だけど、ここに残しておけばいま感じていることは消えないから見直してくれることを願います。
忙しなく生きてきた
今朝、西武池袋線の終点である池袋駅で丸の内線に乗り換えようと足を引きずりながら歩いていたんです。
歩行速度は周りの半分以下。
迷惑をかけないように壁際をゆっくり歩いていると、乗り換えしようと足早に歩く会社員の背中がどんどん後ろから前に流れていくんです。
1人だけ時間の流れが違うような感覚で、社会に取り残されたとも思えたし、別の時間軸で生きているかのような不思議な状態。
理由を考えてみると、忙しなく生きていた自分がいたことに気付かされました。
目の前のことに手一杯で、周りのことがよく見えずに焦っている状態。
同じような感覚の人は少なくないのではないでしょうか?
目の前のことに集中して没頭しているのであれば、とても素敵なことだと思うんです。
でも、僕の場合は焦燥感にかられ、とりあえず目の前のことを片付ける日々。
積み重ねを感じない毎日。
1日の振り返りさえしない自分がいました。
忙しなくしていた僕は、強制的にゆっくりとした時間を過ごた結果、立ち止まって自分のことをよく知ることが大切なのではないか?という答えに辿り着きました。
人それぞれ長所・短所がある。
仕事が早い人もいれば、遅い人もいる。
得意なことがあれば、苦手なこともある。
全てできたら素晴らしいけど、完璧な人はいない。
いろいろな人がそれぞれ補完しあって助け合う。
足りないものを補いたくてしかない僕としては、いまの自分を肯定できたような感覚です。
そして、短所を見るんじゃなくて、長所に注目していいのではないか。
それぞれの長所で短所を補えたら最高じゃないですか。
ただ、長所が分かっていない僕は、長所探しするところから始めなければいけないようです。
時間がかかるかもしれせんが、ゆっくり自分と向き合いながらいろいろ経験して長所を探します。
皆さんは、自分の長所って分かりますか?
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