人間死ぬまで、幸運な人とは呼んでも幸福な人と申すのは差し控えねばなりません【今日の学び】

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ゆうです。

前回と同様、「人生の教養が身につく名言集―――「図太く」「賢く」「面白く」」の名言から感じたことや学んだことをお伝えします。

なぜ、「人間死ぬまで、幸運な人とは呼んでも幸福な人と申すのは差し控えねばなりません」が名言なのか?

「人間死ぬまで、幸運な人とは呼んでも幸福な人と申すのは差し控えねばなりません」

皆さんは、この名言を知ってどのように感じていますか?考えながら読んでいただけると理解が深まります。

この名言は、古代ギリシアの歴史家・ヘロドトスが記した『歴史』に出てきます。

名言が出てくる物語は、富や名声を手に入れた王様と活動家。

何不自由なく望むものは全て手に入れた王様が活動家に質問をするんです。

「いちばんの幸福者は誰だと思う?」

王様は絶対自分だと答えてくるだろうと、出来レースな質問を投げかけます。

しかし、返答に王様は鳩が豆鉄砲をくらったような表情。

「地元のあいつですかね」

王様の自尊心はボロボロで、怒り奮闘。

理由を矢継ぎ早に求めます。

「王様は幸運なだけであって、幸福ではないんです。幸福とは死んだときに初めて分かるものなんですよ」

腑に落ちない王様は、その後にさまざまな災難を見舞われて富と名声を失います。

そして、そのときにふと悟るのです。

「死ぬときに幸福か分かるってこういうことか」

幸運はあくまで運であり、幸福とは呼べないんですね。

死際になって走馬灯のように過去を振り返ったときに初めて分かるのが幸福だったんです。

「人間死ぬまで、幸運な人とは呼んでも幸福な人と申すのは差し控えねばなりません」を知ったとき

幸運と幸福。

言葉の定義に疎い僕は、幸運と幸福の意味の違いに気づけませんでした。

ほぼ同じことをいっているんだから、わざわざ言葉を変えなくてもいいのに。

しかし、名言に込められた意味に気づきたい。

ブロガーの卵、いや受精卵レベルの僕が言葉に対して不頓着でいいのだろうか、いやいけない。

こんな多くの人には意味のない僕の脳内葛藤を描きつつ、幸運と幸福の意味を調べました。

「人間死ぬまで、幸運な人とは呼んでも幸福な人と申すのは差し控えねばなりません」を深く理解しようとしてみた

幸運とは、運がよいこと。よい運。

幸福とは、心が満ち溢れていること。

調べてみると全然意味が違いました。

確かに、幸「運」と幸「福」では大きく意味が異なります。

生きている限り、偶然や運の力で日々の幸せや不幸せを感じ、感情は刻一刻と変化してますよね。

いま幸せでも、明日はどうか分からない。

いまの業績がこのまま続くのだろうか。

この不景気はいつ終わるんだ。

ブログの収益化はいつになるんだ。

ブログの収益化は僕の努力不足ですが、そのほかの幸せや業績、不景気は運によって左右されるといっても過言ではありません。

不幸は突然訪れます。

私の祖父は元気だったのに、浴室で転倒して打ちどころが悪くて亡くなってしまいました、

何年も前のことなので消化できていますが、一周忌を迎えるまでは祖父の家に行ったら「元気してっか?」とおどけて出てくるんじゃないかと思っていました。

祖父が幸運だったかは分かりませんが、幸福だったと願うばかりです。

ただ僕の価値観だと死際に恩師や兄弟、親友と昔話をしたいので、祖父は幸福ではなかったかもしれないですね。

皆さんは、どんな最後を迎えたら幸福だと感じますか?

この書籍を読むことで理解が深まるのでおすすめです。

コメント

  1. […] 前回と同様、『人生の教養が身につく名言集―――「図太く」「賢く」「面白く」』の名言から感じたことや学んだことをお伝えします。 […]

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